Fumiko’s Second Life

2008年に脱サラした主婦が開業して店を始めるまで〜始めてからの約2年間の記録

おわったー!

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たった4ページなのに、最初の打ち合わせから数えて1カ月半かかった。

撮影とか取材は極力他のメンバーに頼って、私は版下にまとめるだけなら楽勝、
とか思っていたが、結構甘かった。

1面と4面はレイアウトに悩まなくてもいいようにフォーマットを組んでしまい、
写真とテキスト流し込むだけにして、
2面と3面はアナログ版下ができる人がいるので、データ全体をスキャンして配置するだけ、
のはずだったが、ラフレイアウト通りに先生と職員さんが収まらない。
テキストを入れたら、めちゃくちゃスペースが狭い。
アナログ版下担当のMさんに、校舎のレイアウトをやり直してもらう。
こちらがアタリをつけてから本描きに入る、ということになっていたのに、
アタリをつけるのに時間がかかりすぎて、
Mさんは私のキューを待たずに本描きに入ってしまい、
あとはよろしく、とばかりに原稿を渡されてしまった。

えー、素材だけなのー? レイアウト詰めてくれると思ってたのにー。

MさんはMさんで、手描き文字を画材を変えて5~6種類書いてくれたし、
A3サイズの校舎を2回も製図して、ずいぶんがんばってくれたから、文句が言えない。
写真を全部紙焼きにして渡せば貼り込めるけど、と言われたけれど、
膨大な数の写真を出力するのも無駄だし、パソコンでやった方が簡単だと思う、
と安請け合いしたのは、どっちかというと私だから、押し付けられた訳でもない。

しかし、これだけの写真を切り抜くのと、それぞれに対応したテキストを配置するのに
どれだけ時間がかかるのか、自分の能力がわかってなかった。

全部で46人、根性で切り抜いた。
給食室の人達が別枠じゃなかったら、52人になるところだった。
そして52人分のテキストも貼り付けた。全員にルビも振った。

私が通っていた時は1学年5クラスだったが、現在は1学年3クラス。
それでも、これだけ先生や職員さんがいるのだと、改めて思い知った。

大変だったけれど、今までたまにしか学校に行かなかったから、
ちょっとした用事で学校に行ったときに、すれ違った先生や職員さんの名前が
わかるようになった。
母校なのになんとなくよそ者気分だったのが、急に身近に感じられるようになった。
広報紙を作ってみて、まずは自分自身が学校を知ることになったわけだ。

明日はいざ、入稿!