Fumiko’s Second Life

2008年に脱サラした主婦が開業して店を始めるまで〜始めてからの約2年間の記録

あーーっ!!

息子の小学校の広報紙の編集に追われていたら、
『ナンシー関 大ハンコ展』が昨日で終わってた(涙
行きたかった・・・。

週刊朝日」の連載「小耳にはさもう」が続いているのに
週刊文春でも「テレビ消灯時間」を連載していたということ自体、
業界のタブーを超えるだけの才能に溢れていたのだと思う。
消しゴム版画という独特の手法と、的を得たテレビ評論。
辛口だけど愛のあるシニカルなコメント。
すごく好きだった。

今回の『大ハンコ展』は、2002年6月12日に虚血性心不全で逝去された
ナンシー関さんの七回忌として、
友人である安斎肇さん渡辺 祐さんらが実行委員となって実現したもの。
祐さんのblogを日頃から読ませていただいている私としては、初日に行く気満々だったのに、
とうとう渋谷まで足を延ばすことができなかった。残念無念。

40歳の誕生日を1カ月前に控えて亡くなってしまったナンシーさん。
私も今年40歳。
6歳年上だったんだ、と改めて思う。
もっと年上の、大先輩だと思っていた。
亡くなられた時に自分がまだ33歳だったから、39歳がものすごく大人に思えたのかな。
いざその年になってみると、自分はまだまだ若輩だと思わざるを得ない。
約17~8年の間に5000点を越す作品を産み出したということは、
単純計算しても、有名になられてからは年300個以上のペース。
偉業としか言いようがない。
ちょっと高いけれど、『ナンシー関 全ハンコ5147』を買って、
彼女の仕事人生を振り返ってみようかな。