Fumiko’s Second Life

2008年に脱サラした主婦が開業して店を始めるまで〜始めてからの約2年間の記録

母からの手紙

私は両親といわゆるスープの冷めない距離、200mぐらい離れた別のマンションに住んでいるが、
日々バタバタしていると私が電話に出た時に「今手が離せないんだけど」と冷たい態度を取ることが多いせいか、
携帯メールに加えてわざわざポストに絵はがきが入っていることがある。

昨日は1日遅れの誕生日プレゼントを玄関に置いておいたわ、と携帯にメールがあり、
現場から自宅に戻るとプレゼントの包みに絵はがきが付いていた。

そこには「おたんじょうび おめでとう!!」に続いて
「30代最後の一年を、よぉーく生きてください」と書かれていた。

私は40になったのに、ついに娘の年を間違えるようになったか、と心配になり、
謝辞と共に「でも年一つ間違ってます。もう大台乗りました」と携帯メールで返信を送った。

すると今朝、母から返信が。

「以前、四十代に入る覚悟がおぼつかなくて落ち込みかけてた私を励ましてくれた文造さん(父)の言葉。
『サンジュウ-キュウの次はサンジュウ-ジュウで三十代最後の年。四十代は41歳から数えます~。』」

母にもそんな時期があったなんて。
33で三女を産んだ母は、40歳を目前にした頃は11歳、9歳、6歳の三人娘の子育てで毎日大忙しだったが、
突然私に留守宅を託して2週間中国旅行に出かけて行ったのことがあり、
それは私が小学4年生か5年生の夏休みだったから、ちょうどそんな時期と重なる。

30年近く前の40代と今の40代では、全く世界が違うだろう。
今でも40代女性の再就職は手に職でもなければ希望の職を得ることは難しいが、
グラフィックデザイナーだったキャリアを捨てて専業主婦の道を選んだ母にとって、
いろいろ思うところがあったに違いない。

私が英語が好きになったのは、語学好きだった母の影響で、
さいころから英語の絵本を買ってもらったり、
一緒にNHKラジオ基礎英語を聞いたりしていた。
私が基礎英語を聞き始める前から、母は中国語講座を聞き始め、
30代の終わりの2週間の中国旅行だけでは飽き足らず、40代後半には専門学校に通い始め、
3年目には2ヵ月間の中国留学もしてしまった。

いろんなことを唐突に言い出す母だとばかり思っていたが、
母としてではなく、一人の女性として考えると、母の複雑な心境が思い当たる。

もう40代に突入する憂鬱は払拭され、期待でいっぱいの私だが、
母の言うところの「30代最後の一年をよぉーく生きて」、楽しい40代にしたいと思う。
お母さん、ありがとう。