Fumiko’s Second Life

2008年に脱サラした主婦が開業して店を始めるまで〜始めてからの約2年間の記録

40目前の手習い

今日はこれからバンドの練習。

キ、キーボードが重い…。

(ただ今、日付変わって練習より帰宅。以下、続く)

私のキーボードはなんちゃってシンセなので、ナイロンバッグに入れて持ち運ぶことができる。
が、3分以上歩くと、バッグの紐が肩に食い込む。

バス停に向かう途中、「そんな大きな荷物背負って、どこ行くの?」と、
自転車屋の山ちゃんに声をかけられた。
「あ、ちょっと、練習で・・・」
「何の?」
「あ、キーボードなんですけど・・・」

10代の若者ならともかく、40目前の私がキーボードを背負って歩いているので、
近所の人から見たら、さぞかし不思議な光景だっただろう。

会社を辞めたから、急に趣味に走り始めた?

とんでもない。仕事ではないが、お遊びではない。
「音楽人 -1988-」http://blegi.jp/novel/top/4006
という携帯小説を連載している森綾さんが、小説に出て来るオリジナル曲を披露するべく結成したバンドのメンバーは、
某有名番組制作会社のプロデューサーで携帯小説家
某有名レコード会社の映像セクションで働くサラリーマン、
かつてスタジオミュージシャンをしていたこともあるというイケメン歯科医、
という面々と綾さんと私。
皆、超多忙にも関わらず本気モードなので、キーボードが重いなんて言ってられないのである。

一回目の練習だし、貸しスタジオで借りてもらっているエレキピアノでもよかったのだが、
当日自分の楽器が必要かどうかを見極めたかったし、
なるべく本番と同じ楽器で練習したいので、なんちゃってシンセが使い物になるかどうか、
確認したかった。

歩く距離を極力減らすためにバスを使ったので、15分遅刻してしまった(ごめんなさい)。
エレピとシンセを二段にして、練習を開始。
慣れないエレピは、ピアノらしく弾くこともエレピらしく弾くこともできず、
結局後半は全部自分のキーボードで弾いた。
頭の中ではピアノパートとシンセパートを組み立ててあったのだが、
それに縛られすぎて、応用の利かない情けない演奏になってしまった。

会社を辞めた私は一番練習時間があったはずなのだが、
曲目が決まって、課題曲の音源が届いてから程なくして息子が夏休みに突入し、
自分の自由な時間がかなり少なくなってしまい、
思っていたほど練習ができなかった。

メンバーの並々ならぬ "やる気" を感じることができた今日、
みんなの足を引っ張らぬよう、朝練に自主練、がんばらねば、と胸に近い、
第1回目の練習は終わった。

出掛けにバタバタして腹ごしらえができなかったので、
綾さんに付き合ってもらって、赤坂見附ロイヤルホストで遅い夕食を取った。
キーボードを抱えて赤坂のファミレスに入る40目前の私。
プロなら運搬車を使うので、こんなキーボードケースを抱えているのは見るからに素人、
変に思われたかもしれないが、「なんだか学生みたい♪」と、はしゃぐ私に苦笑する綾さん。

私以外は皆バンド経験があるが、私はエレクトーンだったのでアンサンブル止まりで、
忘年会や結婚式の余興で2~3回組んだことがあるぐらいのバンド初心者。
ライブが行われる11月1日の約1週間後に40歳の誕生日を迎える私が
「40目前の手習い」を始めるのも面白いかも、と思って気安く引き受けたものの、これは責任重大。
皆さんに恥をかかせてはいけないので、ちょっと私も本気モードに。