Fumiko’s Second Life

2008年に脱サラした主婦が開業して店を始めるまで〜始めてからの約2年間の記録

20年前・・・"1988"

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ブルーノート東京から、20周年特集のフリーペーパーが届いた。
1988年の11月28日、ブルーノート東京のオープンを飾ったのはトニー・ベネットだったそうだ。

当時私は20歳になったばかりの大学生。
ブルーノート東京に行くようなお金はなかったが、前年に行った初めての海外旅行でニューヨークに行ったおかげで、
次にニューヨークに行く時にはJAZZをいっぱい聞くんだと夢を膨らませていた。

ブルーノート東京のオープンの約2ヶ月前、10月1日にはJ-WAVEが開局した。
アメリカに憧れ、ニューヨークに憧れていた私にとって、
バイリンガルDJがナビゲートするFM局の登場はカルチャーショックだった。
毎日J-WAVEを聴き、開局記念のテレカが当たったり、
モニターに応募して半年間アンケートに答えて謝礼金を受け取っていたぐらい、J-WAVEが大好きだった。
そんなJ-WAVEも20周年・・・。

などと20年前に思いを馳せていた土曜日、
2日前にオーダーしたナタリー・コールの『Still Unforgettable』がAmazonから届き、
1988年を舞台ににした携帯小説音楽人 -1988-」を書いた森綾さん率いるAYAYA BANDの練習日だった。
今、その練習から戻り、『Still Unforgettable』を聴きながらこれを書いている。

そのライナーノーツには、ナタリー・コールの父、ナット・キング・コールのみならず、
トニー・ベネットのナンバーへの想いが綴られていた。

20年前に20歳だった私が行けなかったブルーノート東京に今年初めて足を運び、
その公演がナタリー・コールだったこと、
彼女が今年レコーディングに励んでいたアルバムにトニー・ベネットが唄った曲が3曲も含まれていること、
私が「音楽人 -1988-」から派生したバンドのメンバーに入れていただいたこと。
このメモリアルイヤーに、なんとも奇遇の多いこと。

まもなくハタチ×2を迎えようとしている今、会社を辞めて起業準備をしながら、
久々にライヴをたくさん見に行った今年、
成人の2倍の年齢になって、やっと大人になろうとしているように思う。

そしてまた、これも奇遇なのか必然なのか、
ナタリー・コールの真似をした訳ではないのだが、
最近父が過去の仕事について書いた幾つかの原稿を改めて読む機会があり、
それを何度か読むうちに、これをなんとか出版できないか、と思うようになった。
父が元気なうちに、父と仕事をした方々がご健在でいらっしゃるうちに、
話を聞いたり取材したりしてみたい。

11月オープンを目指しているcuriousは表向きは雑貨店+コミュニティスペースだが、
企画制作会社としての機能を持つ業態を考えている。
新聞記者になりたかったのに何故かテレビ局に入社して企画書ばかり書いていた父と
グラフィックデザイナーをしていた母との間に生まれた私は父と近い業界に進み、
一緒にcuriousを立ち上げる妹は母と同じ美術短大とデザイン専門学校で学び、
やはりグラフィックデザイナーになった。
(ちなみに私にはもう一人妹がいて、彼女も美術系の大学に進学し、美術館やギャラリーで働いた後、
現在は子育て中の主婦である)

文系と美術系と得意分野は違えども、父と母に共通していたのは「ものを創るDNA」で、
それは私にとっても妹にとってもライフワークといえるテーマであり、
curiousはそれを実現する私達の基地となる。

雑貨を売ったり、ワークショップを企画・実施する傍ら、
妹がデザインした雑貨を制作したり、自分が企画した本を出版したり、
マイペースでじっくりと、ライフワークをあたためていきたい。

子育てをしならがらのサラリーマン人生を送った10年間は、
たくさんの無理をして、同僚や上司のみならず、身内に大きな迷惑をかけた。
でも、無理をしてでも必死にがむしゃらに働かずにはいられない時期だった。
自分が本当にやりたいことを見つけるために。
自分には何ができるかを見極めるために。

40歳の誕生日まで、curiousのオープンまで、あと1ヵ月と少し。
大きな節目を迎える2008年の誕生日は、私にとって2回目の成人式。
やっと大人になろうとしている、と書いたけれども、まだまだヒヨッ子、
大人1年生、という気分である。