Fumiko’s Second Life

2008年に脱サラした主婦が開業して店を始めるまで〜始めてからの約2年間の記録

貴重な裏方話@東京国際映画祭『昭和残侠伝』トークショー

東京国際映画祭ニッポン・シネマ・クラシック」3日目、
御年90歳の名優・池部 良さんのトークショーを楽しみに、ル・シネマへ。

会場に着くと、池部 良さんが風邪で体調を崩されたため、トークショーを欠席するとのお知らせが貼り出されていた。
お年がお年だけに、大事を取られたのは仕方がないが、残念・・・と思いながら
『昭和残侠伝』(1965年作品)を鑑賞した。

実は、任侠映画を劇場で見るのはこれが初めてで、
テレビで『極妻』シリーズのどれかを見たことがあるような気がするが、
映画館に足を運んで見たことはなかった。

高倉 健さんは時代を超えて男の理想像的存在なので、
私の学生時代でも高倉 健のファンだという男子もいたし、
高校時代に好きだった男の子は、ちょっぴり高倉 健に似ていた。
でも、今まで健さんの主演映画をビデオやDVDで見る機会もなかったし、
1949年公開の『青い山脈』で高校生役を33歳で演じた池部 良さんのこともよく知らなかった。

ものすごく面白かった。
健さんと池部さんの圧倒的な存在感。
松方弘樹、梅宮辰夫、三田佳子の若々しく美しい姿。
脇を固める役者陣の演技の着実さ。
気づけば、最後の最後で宿敵の組に殴り込みに行く健さんと池部さんに感情移入し、
続編を期待させるエンディングでは、思わず拍手。

上映後、全部で9作品が制作された『昭和残侠伝』シリーズのうち6作品で助監督を務められた
澤井信一郎監督が、池部 良さんに代わり(元々特別ゲストとして呼ばれていたらしい)、
品田雄吉さんの進行でトークショーゲストとして登場した。
『昭和残侠伝』シリーズ9作品は佐伯 清、マキノ雅弘山下耕作の3人が監督を務め、
そのいずれの監督の下に就いていらした澤井さんは今回上映された第1作は関わっておられなかったそうだが、
シリーズの2/3に関わられているだけに、さすがにシリーズのことを知り尽くしておられた。
池部 良さんが東映出身ではなかったにも関わらず出演された経緯や、
監督が3人いるのにシリーズを通した世界観があるのは
高倉 健&池部 良の名コンビの存在のみならず、俊藤浩滋プロデューサーの想いが作品に生きているから、
といった貴重なお話をたくさん伺うことができた。

また、途中から会場にいらした東映坂上 順氏もトークショーに加わり、
アクションシーンより男女の物語を描くことが好きだった監督(マキノ雅弘監督?)が
助監督だった澤井信一郎さんにアクションシーンを任せて現場を休んでホテルにこもってしまったため、
監督に焼飯を届けてるのが僕の仕事だった、といった当時まだ制作の駆け出しだった頃のエピソードを披露してくださった。

池部 良さんのお話を聞けなかったのは残念だったが、
次の上映がなかったらいつまでも話が尽きなかったのではないか、というぐらい、
予定時間をオーバーして繰り広げられたトークショーは、とても面白かった。

まだまだ聞きたかったという聴衆は「是非来年また続きを」と締める進行役の典吏子さんの言葉に拍手で応え、
トークショーはお開きになったが、ロビーで典吏子さんに挨拶をしようと思ったら澤井監督とご一緒だったので、
「池部 良さんが『おひかえなすって』と仁義を切るシーンがカッコ良くて、
任侠映画を今までちゃんと見ていなかったことを後悔した」とか、
「監督のお話のおかげで、シリーズ全作品見たくなった」などと感想を述べさせていただいたら、
「まだまだ面白い話がいっぱいありますヨ」と笑顔で応えてくださり、
古き良き日本映画がこうして映画祭で再上映され、再評価されることが嬉しいご様子だった。

澤井監督も、典吏子さんも、シリーズ最高傑作の呼び声高い『昭和残侠伝・死んで貰います』(1970年)を
薦めてくださったが、やはり制作年代順に全作制覇してみたい。