Fumiko’s Second Life

2008年に脱サラした主婦が開業して店を始めるまで〜始めてからの約2年間の記録

五社巴さんとスンガリーにて。

私が父とお静さんこと扶桑社の平田さんとの会食に便乗した日から始まった、
お静さん命名「文造弟子の会」。
会が命名されての第2回目は、父がフジテレビに入社した当時の上司で仲人でもあった
故・村上七郎さんのお嬢さんで映画プロデューサーの村上典吏子さんとお静さんと父、
第3回目残間里江子さんとお静さんと典吏子さんと父、と続いて
今宵は第4回目として故・五社英雄さんのお嬢さんにして五社プロダクション代表取締役
五社巴さんとお静さん・典吏子さん・父とで新宿のロシア料理店スンガリーで会食。

スンガリーは歌手の加藤登紀子さんのご両親が昭和32年に新橋で店を構えたのが始まりで、
昭和35年に新宿・歌舞伎町に移転し、昭和42年には西口にも店ができ、
私が社会人になった平成3年から一昨年までの間、表参道にライブレストランもあった。
昭和48年に西武新宿駅前に引っ越す前のコマ劇場前にあったころから歌舞伎町のお店に通つめていた父が
そこにギターを持って現れたデビュー前の加藤登紀子さんに出会い、
後に『6羽のかもめ』の主題歌を依頼するに至った話を最近読んだため、
私も子供の頃から何度か連れて行ってもらっていたスンガリーの味を懐かしく思い、
今回は私がこの場所を予約した。

巴さんは東映繋がりで典吏子さんとも旧知の仲で、お静さんとも長い友人関係であり、
フジテレビにいた人とフジテレビにいた父をもつ人が集まった格好になったこともあって
共通の知り合いの話で花が咲いたが、私だけが知らない業界有名人の名前もちらほら、
それは一体誰で何をした人?と耳をそばだてる。

お静さんの発案で1~2ヵ月に1回、こうやって父を慕って下さっている先輩方にお会いしてきたが、
こうして会食する度に、先輩方に想い出話を語るのを横で聞きながら、父の文章の周辺がより詳しくわかったり、
書かれていない様々な話が飛び出すのである。

巴さんにはお静さんのお誕生日パーティーで8月にお会いしていたが、
ゆっくりお話をさせていただくのは今日が初めてだったため、
事前に巴さんの著書を拝読していたのだが、この本がまた最近の私の「昭和の旅」とシンクロして、
数々の逸話に驚かされたり、ホロリとさせられ、最近読んだ本の中でもお気に入りとなったため、
本とペンを持参し、巴さんにサインをお願いした。

「サインなんて、したことないわ」と困り顔の巴さんに、
「父の本が出版できるよう祈年して、是非お願いします」とお願いすると、
さらさらと私の名前と日付を入れて、サインをしてくださった。

子供の頃、父に芸能人のサインをねだったとき、
そのためには父が誰かに頭を下げなければならないのだということを知り、
私にとってサインをもらうという行為はよっぽどでないと言い出せないことになっていたが、
今日は不躾ながらも巴さんにおねだりしてみたかった。
波瀾万丈な人生を生き抜いて来た巴さんから、パワーをもらいたかったから。

昭和から変わらぬ佇まいの中で、飲んで、食べて、語って。
あっという間のひとときだった。