Fumiko’s Second Life

2008年に脱サラした主婦が開業して店を始めるまで〜始めてからの約2年間の記録

失ったものと、そこから得たもの

昨日、不要品の整理をしていて、しばらく使っていなかったカバンをクローゼットの奥から出してきたら、
内ポケットから白い封筒に入った領収書の束が出て来た。

2004年2月4日 6,970円
2004年2月6日 7,540円
2004年2月11日 6,800円
2004年2月11日 2,740円
2004年2月13日 6,180円
2004年2月14日 1,380円
2004年2月15日 4,980円
2004年2月15日 1,860円
2004年2月18日 8,020円
2004年2月20日 8,180円
2004年2月25日 8,870円
2004年2月27日 7,450円
2004年3月1日 7,460円
2004年3月10日 4,820円
2004年3月12日 8,180円

・・・タクシーの領収書である。

更に3月9日と3月12日の喫茶店の領収書が1枚ずつ、合計9万4千円余り。

私が去年まで勤務していた会社では、タクシー代の精算は原則毎週しなければならなかったのだが、
タクシーの領収書が溜まるのは残業で帰れない日々を送っていたからで、
毎月20日締めの伝票処理を月末までに済ませれば何とか怒られずに済んでいたため、
例によってまとめて処理しようと思って溜め込んでいたところ、
本決算(3月20日)に向かうドタパタで月末まで忙しく、
最後の砦である「理由書」という名の始末書を書いて許してもらおうと思いながらも
そのまま本決算に突入してしまったがために、
精算することができなくなってしまった経費立替金の領収書の束であった。
捨てていなかったところをみると、出張の時に使ったことのあるカバンの内ポケットに入っていたことからも、
いざ精算しようと思ったら、どこにしまったか忘れてしまっていたのかもしれない。


当時は本当に忙しかった。
6歳の息子を旦那に頼み、年に20回ぐらいは大阪に出張していたし、
2004年は全国行脚もしていた年だった。
・・・調べてみたら、担当していたイラストレーターの巡回展が2月15日から始まり、
2月29日(うるう年だったのね)に渋谷ロフト、3月13日に仙台ロフトでサイン会があった。
その前日までの領収書・・・ということは、その出張で使ったカバンに大事にしまうあまり、
以後今日まで発見されなかった領収書、ということになる。ああ、なんということか。
(それ以来5年間、このカバンの出番がなかったというのも驚きである)

私の情けない顛末はさておき、あの頃は17年間のサラリーマン人生を振り返っても、最上級に忙しかった。
あの頃の経験があったからこそ会社を辞める自信が持てたのだと思っているが、
あの頃から確実に様々な無理がキシキシと音を立て始めていた。
仕事は楽しくて仕方が無かったが、仕事が無限に広がりを見せる反面、
母親として息子と向かい合う時間が足りないことに対して、常に負い目を感じていた。
いつしか蕁麻疹が出るようになり、睡眠不足もストレスもお酒も全部原因だということで、
何一つ原因を減らすことができなかったので、担当医にも呆れられていた。

去年会社を辞めてから、その蕁麻疹はすっかりよくなり、
睡眠不足の時にお酒を飲んだ時や季節の変わり目に発症することはあるが、
常に塗り薬を持ち歩き、薬を飲む毎日からは解放された(勝手に医者に行かなくなっただけだが・・・)。

サラリーマン時代に比べ、自分が取り扱うビジネスの規模は100分の1ぐらいになり、
健康保険料の高さに驚き(サラリーマン時代は会社が半分払ってくれていたことを知らなかった)、
毎月月末に家賃を払って10日に保険料を振り込むと溜め息が出るが、
心身共に現在の方が充実した生活を送っている。
正直、個人商店の経営は楽ではないが、地元のお客様に喜んでいただけているという実感がある。


5年も前の領収書の束が今頃出て来て、こんな大金をドブに捨てていた自分に呆れるばかりだが、
あまりにも象徴的な時期の領収書だったので、妙に納得してしまった。
今さら返って来るお金でもないし、失われたお金以上に得たものがたくさんあった、と考え、
私にたくさんの勉強をさせてくれた会社に授業料を払ったことにしておこう・・・。
(現在サラリーマンの皆様は、決して私のようなことにならぬよう、がんばってくださいませ)